嫁が鬱になりまして。

初めまして。夫です。

この度、嫁が鬱になりました。
厳密には「心因反応」みたいな名前でしたが、まあいわゆる鬱って奴らしいです。

このサイトは完全に夫の自己満足で構成されていますし、僕もいつまで生きていられるか分からないので、僕がいなくなった後でも嫁が「愛されていた」ことを確認できるよう日記くらいの気持ちで更新するつもりです。

2023年11月13日

午前中に心療内科に行きました。

ちょっと前から嫁の様子はおかしかったのですが、病院へ行こうと言っても嫌がられるだけだったので僕はそれ以来「病院」と言う単語は出さないようにしていました。

しかし、僕の仕事の事情も相まってとうとう嫁の方から「精神科へ行きたい」と言ってくれるようになったのです。

嬉しさ半分、情けなさ半分。

僕の力だけでは、嫁を元気にすることは出来なかったんだなと、自分の無力さを実感しました。
優しすぎたのかもしれないし、厳しすぎたのかもしれない。

相手によって受け取り方は変わるので僕の対応がどうだったかなんて僕にはわかりません。

傍から見ればいい夫でも、家では傍若無人に振る舞う悪漢なんてことだって。その逆もありますしね。

つまるところ、僕では力不足だったので「先生」に頼ることになりました。

病院にて

初診は予約が出来ませんでした。

ただただ待合室で呼ばれるのを待つばかり。

しかし、私たちには1歳にも満たない天使がいるので、長い時間じっとしてられることの方が少ないのが不安でした。

待合室にはほかの患者さんもたくさんいらっしゃったので、ここで天使が泣きわめこうものなら周りからはバッシングの嵐を受けるに違いありません。

まあ、場所も場所ですから。

不安は現実へと変わり、天使がうめき声を上げ始めました。
嫁はどんな気持ちだったかはわかりませんが、僕に一言

「外で待っててくれる?」

と、言ってくれました。

今まであれだけ「行きたくない」と言っていた心療内科で1人にされるのはとても心細かったのではないかと思います。
それでも、周りへの気遣いを忘れない、そんな嫁と一緒にいれて僕はとても幸せです。

病院が終わり、

嫁が戻ってきたのは2時間弱が経った頃でした。

車へ向かって歩いてくる嫁の顔は思ったよりも明るく、先生に話を聞いてもらい落ち着いたのかなと思うほどでした。

車を発進させ、帰途の最中に病院であったことを聞きました。

聞いていいものかと葛藤もありましたが、聞かずにはいられませんでした。
いまどんな状況なのか、良くなるのか、どんな治療をするのか。聞きたいことは挙げだしたらキリがありません。

僕が聞いたことに嫁はいやな顔1つせずに答えてくれました。

看護師さんが親切に話を聞いてくださったこと、先生と現状を話あったこと、一旦診断書を貰って身辺を整えて経過を見ること、薬は副作用もあるからどうしても必要だと感じたらまた貰いに来てほしいと言われたこと。

思っていたよりも前向きな話しぶりに面くらった僕は、安心しました。

たった1回、数分間話を聞いてもらっただけでよくなるわけなんてないのに。

嫁のやさしさで明るく振る舞ってくれていたなんて知らずに。

帰宅

家についてから、さっそく身辺の整理を始めました。

整理と言っても、普段嫁は僕の仕事を手伝ってくれているので、普通の会社員様のように会社へ連絡をして~みたいな小難しい事はありません。

一番の鬼門は、僕と一緒に会社をしているAさんへの説明でした。

そのAさんが、今回うつ病となった原因の1つだったからです。

今すぐに距離を置きたいAさんと顔を合わせて会話をしなければならない嫁のしんどさは僕にはわかりません。
いくら、わかろうと努力したって本人にしかその辛さはわかりません。

僕は、ここでも無力だったんです。

今まで嫁が楽しく暮らせるようにと思って築いてきたものが逆に嫁を苦しめてしまっていたのです。

この文章だって書いてて嫌気がさします。
こんな事を言うやつは往々にして自分の責任を他人に押し付けて悠々と生きているような奴らばかりですから。

嫁の事すら元気にさせられないうえに、そんな人間だったんだと心底失望しました。

そんな人間だった僕は、なかなかビジネスパートナーであるAさんに打ち明けられませんでした。
診断されたその日にすぐ言うべきだ。とは感じていたのですが、Aさんはそれを聞いてすぐに了承してくれるようなタイプでもなかったからです。

もし、Aさんを納得させようものなら、緻密に計算された会話を繰り広げなければなりません。

ビジネスにおいてはアドリブで良かったのです。
僕1人の問題でしたから、失敗しようが、罵られようが、知ったこっちゃありませんでした。

しかし今回は嫁の話です。
ここでいつものように否定されれば、僕はまだしも嫁はかなりのダメージを負うことになると思い、なかなか踏み切れずにいたのです。

2023年11月14日

そうこうしているうちに日付は変わり、新しい朝日が昇ってきました。

嫁は気持ちを入れ替えたと言い、朝から家事や洗濯をこなしてくれていました。

昨日の今日で入れ替わるはずもないのに。

昨日に引き続き、僕の考えは甘く「これだけ元気にしていられるのなら大丈夫か」とか考えていました。

しかし、昼前に空気は一変しました。

いきなり仕事をすると言い出したのです。

ちょっと前から、精神的にきついからと休んでいた仕事を「今からやる」と言い出したのです。

流石に驚き、働こうとする嫁を止めて理由をききました。

「休んでいると、何もしていない気持ちが強くなりどんどん気持ちが落ち込んでいくんだ」と。

気が付きませんでした。

また、良かれと思ってやっていた、やっていた気になっていたことが嫁の事を苦しめていたのです。

「あと、私も一緒にAさんに話をしに行くよ」

嫁は続けました。

昨日診断されたばかりなのに、僕よりも早く整理をつけてさらにはその先の事まで考えてくれていたのです。

連続の出来事に戸惑い、思わず否定してしまいました。

「Aさんには僕から話しておくから、家でゆっくりしてなよ」

すると嫁は悲しい顔をしてリビングへ戻っていきました。

この時やっと気が付いたんです。
読めは自分自身の力で前を向こうとしていることに。

気が付くのが遅すぎました。

謝っても許してもらえるのか、不安でいっぱいでしたが、謝る以外に選択肢が無かった僕はそのまま嫁に謝りに行きました。

「ごめんね、やっぱり一緒に話に行こうか」

「ありがとう、気が付かなかったよ」

そうして、数日後に約束を取り付けたのでした。

引っ越し

精神的な負担は環境を変える事でも和らぐという事を耳にした僕は、数日前から引っ越しを提案していました。

幸い子供もまだ小さく、僕らの都合で好きなところへ引っ越しが出来る環境です。

仕事のために関西に住んでいる僕たちですが、お互いの地元は関東と九州で、かなり距離があります。

更に言えば、今では全ての仕事がリモートで完結するようになったのでどこへ行ってもくいっぱぐれる事はなかったのです。

嫁は引っ越しの提案に乗り気でした。

もともと関西は肌に合わないと言っていた嫁を、僕の都合で無理やり関西へ連れてきたのは僕だったので、次は嫁の好きなところへ行こうとおもっていました。

「どこへ引っ越したい?」

僕が聞くと思わぬ返事が返ってきました。

「夫くんの地元がいい」

嫁曰く、僕がのびのびと仕事のできる環境が良かったといっていました。

僕の地元は誰がどう見ても超のつくほどの田舎です。

住めば都とは言いますが、さすがに散歩をしても見渡す限りの畑しかないと伝えました。

これも今思えば嫁への否定だったのだと思います。

嫁にとってつまらないかもしれないと思い話していたことが、嫁の意見を否定する形になってしまっていました。

自分の意見を否定された嫁は、あんなに乗り気だった引っ越しにもやる気をなくしてしまいました。

悲しかったです。僕の無力さがにくかったです。

もっとお金があれば、好きなとことの土地を買って好きな家を建てて家族でゆっくりすることもできたでしょう。

そんな甲斐性も持ち合わせていない僕には、落ち込んだ嫁を元気づける事は出来ませんでした。

悲しい顔のまま寝室へと行く嫁の姿を見て、自分を見返すことの大切さに今更ながら気が付き、このブログを始めました。

いつの日か、笑って「こんな事もあったね」とこのブログを読める日が来ることを祈って。

またいつの日か、「ちゃんと愛されていたんだな」と感じて貰えるように。

そして、自分への戒めとして。

僕に何があっても嫁への愛は変わりません。

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